先日映画『ボヘミアンラプソディー』が地上波初放送。
放送が始まる前までに、食事もお風呂も明日の準備も全部終わらせて、テレビ前で放送開始を待った。

映画が公開された2018年に映画館にも見に行っている。
映画を見て、初めて歌詞の意味を知る
恥ずかしながら、題名にもなっている『ボヘミアンラプソディー』の歌詞の内容を映画を見るまで全く知らなかった。
かれこれ10~20年前の事、ターちゃんがクイーンのアルバムを持っていて『ボヘミアンラプソディー』はそこに収録されていたので、題名とメロディは知っていた。
言い訳をすると、車の中で聞いていたのでCDジャケットを開いて歌詞の和訳を見ることがなかった。
歌詞の意味はかなり難解だが、昔の私ならばどう解釈したのだろう。

フレディが亡くなった1991年は、まだ私は高校生でクィーンはほぼ知らない状態だが、かなり話題になっていた。
素晴らしい功績が紹介されたが、同時にゴシップ記事も出ていた。
長い事、私のクイーンやフレディへのイメージは『かっこいいアーティストの一つ、一人』だった。
愚鈍な私は、そこで思考が止まった。
感受性の塊の筈だった高校生の頃に、クィーンのメッセージに気付けなかったのが今でも残念過ぎる。
過ぎてしまったことで詮無い事だけど、『気づいて』、『いっぱい聞いて、調べて、学んで』、『自分の中にクィーンとフレディの事を落とし込めていたら』、多分人生が変わっていたと思う。
もっと、丁寧に生きれていたのではないか?
フレディの孤独が辛い
フレディがただ単にダメ人間で孤独ならば「あっそ」でスルーする。
でも、そうじゃない。
フレディ自身に全く落ち度がないのに孤独にならざるをえなかった。
つらすぎる。
元婚約者のメアリーは劇中では結構前から彼の本質に薄々気づいていたように表現されている。
実際そうだったとおもう。
『女の勘』は凄まじく鋭い。
メアリーはフレディが亡くなるまで、友達でいてくれた。
フレディにメアリーとジム※がいてくれて、本当に良かった。
あと、クイーンのメンバーたちも。
※ジム・ハットン、、、フレディを看取った最後の恋人
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